人の情報ばかりアテにして美味しいものを求め過ぎるグルメな世の中について考えてみた
昨今の世の中は、グルメ情報があふれています。
テレビでは、毎日どこかの番組内でグルメコーナーが放映され。
ニュースアプリには「グルメ」のジャンルが必ずありますし、食べログのようなグルメ情報サイトも数多く存在し。
個人のグルメ記事を発信するブログなんかも、後を絶ちません。
美味しいものを食べることが人生の喜びの一部であるということは誰もが認めることでしょうし、私もそれについては否定しませんが。
とはいえ、あまりにも美味しいものへの欲求が強過ぎやしないか?とも思うんですよ。
そんなに美味しいものを求めて、いろんな情報を求めたり、アチコチの店を訪ねまわったりする必要ってあるのかなと。
美味しいと評判の店だからといって、何時間も並んでまでして食べたいと思う欲求って何なのかなと。
そして「あそこの店が美味しい」だの「ここの料理が絶品」といった、評価や推薦がアチコチで見受けられますが。
ただ評価してるだけなら害は無いですが、それを間違いの無い真実みたいに断言してしまうのはどうも納得できないんですよ。
実際、人にすすめられて食べてみたけれども、言われるほど美味しいと思わなかったという経験が誰にでもあるんじゃないでしょうか?
結局は食べ物を美味しいと感じるかどうかってのは、その人の食の好みによるところが大きいでしょうし。
体調なんかにも左右されて、同じ料理でも美味しいと思うときと思わないときとがあるはずですよね。
それなのにまるでその料理が常にそうであるかのように、これは「美味しい」とか「不味い」とかジャッジしてしまうんです。
しかもそんな見ず知らずの他人の感想が、まるで公式な評価のように星の数で表されたりすることもあったりして。
それって、よく考えるとオカシナなものじゃないでしょうか。
例えは、誰かに荷物を持たせたとしますね。
で、その人に
「その荷物の重さを5段階の星の数で表してみてください。星は多いほど重いとします」
と聞いたとしましょう。
はたしてその答えが、荷物の重さを正しく表してるでしょうか?
料理の美味しさの評価ってのは、その程度のものじゃないでしょうかね。
“荷物の重さの判断”にしろ“料理の美味しさの判断”にしろ、けっきょくは個人の感想でしかないわけで。
その重さや美味しさは、各自で試してみないことには分からないというのが真実でしょう。
それなのに、多くの人がそういった情報に左右されて美味しいものを求めてさまようというのは、冷静に考えるととてもコッケイなことなのかも知れませんね。
実はグルメ情報が大好きで人の評価に左右されがちの私が、チョット自戒を込めてそんなことを考えたというお話でした。
といったところで、今回はいじょ!