「未来の私」よ、どうかこの記事を読んでくれ!
私は記憶力がとても弱くて、それはもうハッキリと自覚できるほどなんですが。
アナタは、どうですか?
私の場合、子供の頃の記憶も、数えるほどのシーンしか覚えていないし。
中高の頃の記憶だって、同じようなものなんです。
その頃の知り合いと飲む機会があったり、同窓会なんかでも思い出話に花が咲くわけですが。
私はだいたい聞き役で、しかもほとんどの話題が初耳のようなものでして。
「あーそんな事もあったっけねー」
とか言って笑ってますが、内心では「え?完全にそんな記憶は無いんですけど・・・」と冷や汗をかいてたりします。
映画なんかでも、一度劇場で観たものでもしばらく経つとストーリーやオチを忘れてしまいまして。
それが半年ほどしてテレビで放映されたりすると、まるで初見のように最後まで楽しめて観ることができてしまうというのは、記憶力の弱さのメリットと言って良いのかどうか悩むところですが。
同窓会で話題になるエピソードや、わざわざ劇場まで観に行った映画の内容まで忘れてしまうくらいですから。
普段の何でもない出来事や、自分が考えたことや思ったこと、感じた心の動きなんかは当然ながらすぐに忘れてしまうわけで。
よっぽど嬉しいことや悲しかったことなんかは、さすがに記憶に残りますが。
ささいな日々の暮らしのアレコレは、ほぼ90%以上が忘却のかなたに失われていってるわけです。
そんなコトを考えると、なんだかとても残念なような、切ないような思いにとらわれてしまいます。
せっかく何十年も生きてきてるのに、そのほとんどが記憶から失われてしまってるなんて。
例えば1年前の今日の“今”この時刻に、私はいったいドコで何をして、どんなコトを考えていたんでしょうか?
もう、まったく思い出せませんよ!
もしかしたら、外を歩きながら「そろそろ秋だなー、さすがに夜になるとナカナカ涼しくなってきたぞ」とか思ってたかも知れません。
あるいは、晩ご飯に“餃子の王将”でビールを飲みながら餃子をつまんで、「あーやっぱり餃子にビールは最強だ!」とか言いながら食事を楽しんでたのかも知れません。
きっとどこかで何かをしながら、いろんなことを感じたり考えたりしてたはずなのに、たった1年前のことをスッカリ忘れてしまってるんですよね。
なんだかチョット、空しさまで感じてしまいます。
きっと私が今こうして記事を書いていることも、その内容も1年も経てば忘れてしまってるに違いありません。
この空しさや、切ないような思いも憶えてはいないでしょう。
でも、もしかして数年後・数10年後に、私がこの記事を読み返すことがあったとしたら。
あるいは今の私の、この思いや考えを思い出すかも知れません。
「あーこのときは、こんなことを感じてたんだな」
とチョットした懐かしさとともに、記憶をよみがえらせることができるかも知れません。
はたしてそのときにまだこのブログの記事が残っているのかどうか、そして私が何かの弾みでそれを読み返してみようとする機会が、やってくるのかどうなのか。
想像もつきませんが、できることなら是非そうなってほしいと願うばかりです。
どうか「未来の私」よ、この記事を読んでくれ!
そして、今の私のことをどうか思い出してくれ!
私が今、どんな風に生きて何を考え何を感じているのか、どんな思いでこの記事を書いたのかを記憶の底から浮かび上がらせて欲しい。
私は心の底から、そう願ってるんです。
「今の私」は、時間を越えて「未来の私」に期待しています。
といったところで、今回はいじょ!