テレビを観るのはそんなに悪いことなのか?
テレビを観るなんて時間の無駄?
雑誌のインタビュー記事で、とある実業家が忙しい毎日の効率アップについて聞かれて、
「私はテレビは観ませんから・・・」
とか言ってたり。
同様に雑誌の「上手な時間の使い方」なんていう特集記事を見ると、「テレビを絶つ!」とかいうタイトルで実際にやってみた人の感想に、
「テレビを観ないことにしてから、読書や音楽に時間を使えるようになって、時間がユッタリと使えるようになりました」
とかコメントしてたりしますが。
なんでテレビの視聴が、「生活の効率アップ」とか「有意義な時間」の敵みたいな感じになってんですかね?
それって、何か変じゃないですか?
テレビって、そんなに無駄なもんでしょうか?
益が少なく、害の多いものなんでしょうか?
暇じゃなくても『SMAP×SMAP』観るし
と聞いたときに、
「あー俺、テレビ観ないんだよねー」
とか答えるヤツ。
なにそれ?
いやオマエがテレビ観るかどうかとかじゃなくて、きのうの『SMAP×SMAP』観たかどうかだけ分かればいいから。
観たなら「観た」、観てないなら「観てない」だけでいいですから。
どうもその答えの中に、
「いゃ俺テレビみたいなレベルの低い娯楽に毒されたりしてないんで、オマエみたいに暇じゃないんで」
といった、鼻の穴を微妙に膨らませた“上から目線”の意識が、そこはかとなくチラ見えする話しぶりに違和感を感じるわけです。
自分の時間の価値は自分で決める
本を読んだり音楽を聴く時間が有意義な時間で、テレビを観るのが意義の無い時間だなんて、誰が決めたんですかね。
テレビを観ることだって、十分に意義があるじゃないですか。
テレビでニュース情報や巷で流行っている話題を知ることもあるでしょうし、ただ単に娯楽として観ることだって立派に意義のあることですよ。
「本を読むのが良いことでテレビを観るのが悪いこと」っていうのはつまり、「純文学を読む人が偉くて漫画を読むヤツはバカ」というのと同じレベルの発想です。
本を読もうが音楽を聴こうが、映画を観ようが絵画を鑑賞しようが。
そしてテレビを観ようが何をしようが、結局はその人がそれに対してどのような意味を感じるかにかかってるはずです。
仕事から帰って、わずかに残された自由になる時間をどう使おうが、それは人それぞれの勝手ですよね。
良い悪いだとか、優れてるとか劣ってるだとか、上だとか下だとか、人から判断される筋合いなんか無いわけですよ。
ですからテレビを何時間観ようが、「無駄な時間を過ごした」とか思ったりしてはいけません。
休日に部屋でずっとテレビを観て過ごしても、「せっかくの休日をもったいない使い方をした」なんて考えは不要なんです。
「あー、今日も大好きなテレビを観ることができて良かった、楽しかった!」
と喜びましょう。
だって、誰に強制されたわけでもなく、自分が観たくて観たんですからね。
おわりに
自分の自由にできる時間は、他の誰でもなく自分の価値観で、やりたいことをやるのが一番ですよね。
だから今日も私はテレビのバラエティー番組を観て「ガハハ」と楽しく笑って、幸せな気分で眠りにつくのです。
といったところで、今回はいじょ!